カフェインを大量摂取すると頭がおかしくなるというのは本当だ。

コーヒーを飲んだ。いつもはこれくらいの量でもまともに働く頭が、月経前だと精神不安定を引き起こすのを忘れていた。といっても大したことではなくて、ただ哀しいとかさみしいとかそういった本当に女性らしい感情面での揺らぎだし、原因も仕組みもわかっているのに脳はすごい。理性なんて吹っ飛ばしてただ哀しくなってしまうんだから。

センチメンタルな気分のときは文章を書くのが一番いい。昔から文章家の人間は鬱々とした感情を昇華して大作を書き上げてきたのだし、文章、文学というものはそのために存在する。作品として文章を多く書く人間ならリアルに感じていることだけれど、文章は孤独でなければ書けないし無音でなければ書けないし頭を使わなければ書けないしどうしたって長文を書けば書くほどそれに比例するように孤独で静かな時間は増えていくから頭がおかしくなるのも当然だと思う。自分だけの世界を構築するのが、文章家は本当に上手で、それ以外のことが本当に下手だ。

ときどき、音楽を作る人間でも負の感情を昇華して作品を作り上げる人がいるけど、そうして作られた音楽はものすごいパワーを持つからヤバい。オーバードーズしてる感覚ってああいう感じだろうな。そうした作品を私は愛すけど、愛せば愛すほど頻繁には聴けなくなるのは、愛が重いということなのだろうか?そういえば、愛はそれなりに調整しないと毒になることを知ったのは最近になってからだった。

分断された文章を書くのは楽しい。分断された時間を過ごすのが楽しいし、分断された言葉を話すのも楽しい。私は分断に何を込める?モールス信号のように全体として意味を持つ。ひとつひとつの存在に意味は塵ほどしかなくても、始めから終わりまで並べたときに見えるものが、美しかったらいいなと思う。希望。