身体的コンプレックスをどう扱うか

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人は誰しもコンプレックスを持ちながら生きていると思う。

顔・体つき・家庭内事情・頭の良し悪し 等、人により様々で、コンプレックスを乗り越えた人、中途半端にこじらせて不治の病になってしまった人、地雷化している人、開き直ってる人、これも様々、周囲にも多く見る。
彼らのコンプレックスを暴いてみたいという欲求や好奇心は私の中に常にあって、きっと暴いて欲しい人もいるから私の人間性は成り立っている。SMの世界っぽいけど、SMの世界でもその行為によって救われる人はいるはずなんだな、攻めたり攻められたりしながら、人は自分を構築していく。
とはいえ暴いてばかりも私の視野は狭くなるばかりなので、私の身体的コンプレックスについて考える。私の身体的コンプレックスは、いくつかあれど、やっぱり一番は「声」である。

私の声は、生まれつきとても高い。いわゆる「アニメ声」と呼ばれるような質だと思う。
赤ん坊のころから、私が泣いていればどんな雑踏でもすぐにわかるし、近所の人も「あみちゃんがいる!」と泣き声を頼りにあいさつしてくるといった状況で、物心ついたときには「声が高いあみちゃん」というイメージは常に付きまとっていた。
はじめて会う人からはだいたい「声高いね」とか「声かわいいね」と言われる。今となってはもう慣れっこだけれど、小学生・中学生の頃はいじめられた。
だいたいは、女子から「ぶりっこ」だとのけ者にされたり、怒ってもからかわれたりした。声真似をされることも多く、今思えば大したことのないことだけれど、当時はとても嫌だった。
喋らないようにしていた時期もあったけれど、女子高に入学してからは「ぶりっこ」だといじめられることもないし、男がいないので媚を売っていると思われることもなく、自分の声に対して多少フラットに向き合えるようになった。
そしてちょうどその頃インターネットの付き合いが広がっていて、私から見て「外」の世界の人たちに多く関わるようになって、声のことを褒められたり、逆に声のことを全く考慮せずにただ私の考えや文章を評価してくれる場が広がったことで、私の声に対する評価はよりポジティブなものになった。「武器」として使い始めるようになったのも、この頃だと思う。

というのも、私の考えは攻撃的というか、極端なところがあるのだけれど、それでも「アニメ声」で発言すると言葉の棘が取れていくらか丸みが出るという特徴があることを知り、これを使うことで自分の考えを表現しやすくなった。他にも、はじめて会う人と話すときに覚えてもらいやすいし、話すこととのギャップがあるのか、おもしろがってくれる。こうして、「声」に対するコンプレックスは昔よりだいぶ減った。

それでもやっぱり、誤解を受けることは多い。第一印象が肝心な場では、本来の自分とは違う印象を持たれることがほとんどだし、厳粛な場では恥ずかしいし、一触即発な人間ヒエラルキーの中では下層に置かれやすい。つまり、いじられ役になったり、私の意見だけが通らなかったりする。ウソのようでホントの話だけれど、わかりやすい身体的コンプレックスを持つ人間にはよくあることだと思う。今は、その状況でさえうまく使いこなせないか、試行錯誤している段階だ。


身体的コンプレックスをどう扱うか。
私はそれを「武器」として扱いたい。