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日記 日記

ブクログたのしい。

様々なネットサービス、いまさらたくさん使ってみてる。tumblrとかブログもtwitterも、ちゃんと使うともっと自分の使いやすいように書き換えたくなって少しずつ手を出すけどなんてコンピューターの言葉は難しいんだ……どこから勉強していいのかわからないなんて経験ないよ。難しいな。
Feedlyを使った。RSSをきちんと使うのは実は初めてだけど、様々に発信されている情報を登録しようとするとき、やっぱり自然に取捨選択していて、ああ、RSS登録しないような情報はきっと自分には必要ないものだったんだなあって。RSS登録はある種のハードルで、使ってみて思うけど、私のブログやウェブサイトに、RSSから飛んできてくれる人がいくらかいるようで、それがとても嬉しいことにも気付いた。

自然な言葉で文章を書くのは本当に久しぶりだ。最近はずっとブクログに本のレビューを書いたり、プラネタリウムのレビューを書いたりして人に読んでもらうための文章を書いていたから、リラックスして文章を書くと喋るよりすらすらと自分のことを話せてるみたい。

さあ、最近のことを書こう。なんだかシリアスなことを考えていたり、ふと気付くと、細かいこと……ミクロな視点でしか物事を見ていなかったりしている。将来のこと、家族のこと、学校、友達恋人同僚自分自身。家族とも友達とも恋人とも、不安になることはとてもミクロ的な部分で、もしかしたらそれって本当に大事なことじゃないんじゃないの?って。広い視野を忘れがちだし、「具体的」という概念も忘れがちな自分にとって、将来を見据え続けて生きるのは簡単じゃない。感情はいつも私の生活の邪魔をする。安心して安定した生活さえ送れれば、私はそれだけで幸せなのに、いつになったら私の夢は叶うんだろうか。安定した生活というのは、割と難しい夢なのかもしれないな。
安定した生活を送るには安定した仕事が必要で、家族との良好な関係(あるいは断絶かもしれない)が必要で、一生愛し合い続けられる配偶者が必要で、心身の健康が必要で、向上心も必要だ。私の求める「安定」のハードルは高い。リスク回避思考の強い私は、一切の心配をせずに生きていたい。お金のことや、家族のこと、異性関係や、いずれ生まれる自分の子どもや、勉学、学費、家や車のローン、そうしたことに振り回されるのはもうまっぴらだから、命をかけて取り組んでいるけど、理解のある人間が側にいることは救いだな。

実のない話をだらだら書くのも、おもしろいね。今日はもう眠い。