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過去の経験から自分の生きる指針としている考えがある。それは、「嘘をつかないこと」と「優しい嘘よりも哀しい真実を選択すること」。

嘘をつくのには嘘をつく以上のリスクが伴うと思う。嘘というのは継続するから常に嘘について考えていなければ辻褄が合わなくなってしまうしそれにはものすごい労力がいる。少なくとも私の場合は。それに加えて信用されなくなるし、嘘って大体他人を哀しませるし、そういう理由から私は嘘が嫌いだ。偏った見方でしかないけど私はかなり嘘をつかれてきた人間で、それによって計ることの出来ないほど涙を流したし今でも忘れられない。きっと、私に嘘をついてきた人間と同じラインに立ちたくないという理由もあるだろうね。だから出来るだけ生きる上で嘘はつかないようにしている。それによって自分の立場が悪くなることや逆に信用をなくすこともあるけれど、そうした負担を差し引いても嘘をつかない生き方は自分自身を守ってくれている気がする。

過去に経験した嘘はほとんどが優しかった。優しかったから私はそれに甘えて安心していたんだと思う。真実がちらりと見えていたのに真実をはっきりと眼にするのが怖かったから他人の嘘に逃げた。真実はどこから見ても真実なんだからいずれ向き合わなければならなかったのに。真実に向き合ったとき私は精神をぐしゃぐしゃにするほど乱れたけれど、それは今でもこわいけれど、その時に思った。嘘に甘えるのはもうやめようって。真実をしっかり受け止めようって。それがどんなに哀しい真実でも苦しい真実でも自分が壊れそうでも自分から見つめようと誓った。実践してる今、だいぶこれは苦しいことで、自分を追いつめることも多々あるけれど、それでも当時の自分をもう一度見たくはないから今でも実践している。

けれど、私が嘘をつかないような生き方を心がけて送っていたってそれが他人と関係することは本来なくて、つまり「私が嘘をつかないんだからお前らも嘘をつくな!」という主張は全くおかしいわけです。それは始めからわかっているけれど、それも踏まえて、私は他人がどう生きようと他人の真実しか信じない。真実だけをきちんと信じるっていうのは強いようで実はとても弱いんじゃないのって先輩に言われてしまって確かにそうだと思う。すぐに崩れてしまいそうな愛ですね。私には一人、真実を言っていても嘘を言っていてもまるごと信じていられる人間がいて、そういうのを「信頼」って言うのだと思う。真実しか信じないっていうのは誰も信頼していない状態なんじゃないかなって文章にして気付く。もっと心を拡張したい。嘘も真実もひっくるめて信用できる人間関係を作っていきたいですね。それが出来ない原因ってのが他人じゃなくて私にあるのが、難しいところなのだけれど。