Facebookトリコロール(フランス国旗)アイコンについて

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/c3/Flag_of_France.svg/900px-Flag_of_France.svg.png



というツイートをしたら、「感じていたことが綺麗に言語化されていて救われた気分」と反響があったので、同じように感じている人は少なからずいるんだなと思いもう少し考えてみることにした。

今日もFacebookでこんな投稿を読んだ。

僕は怒ってる。
今回のこの投稿が荒れるかもしれないけれど、そこは気にせず思ったままを書く。
まず本題に入る前に
心から犠牲になった方に祈りを捧げる。
Facebookトリコロール(国旗:フランスの青白赤)で染まってる。それに対して様々な意見がある。
・本当に祈ってるのか?現実を知ってるか?今回のテロ以上に死者が出てる物もあるのに何故今回のだけ大きく取り上げて祈る?
と。
バカ言え。
はっきり言って論点はそこじゃない。
今多くの命が犠牲になったことだ。
他の戦いと比較して、命の数を比べたり、現実を厳密に知らない人間を批判したりするな。
人間は全知全能ではなくて、世界の情勢を全て把握することなどできないし、
純粋に世界から命が消えたことに涙して、
フランスに祈りを捧げている人がいる中でよくそんなことが書けるな。
「本当に祈ってるのか?現実を知ってるか?」と詮索する記事に憤りを感じる。
僕のフランス人の友達は今回のテロで友人を亡くした。
彼が泣き崩れてる姿が今でも鮮明に焼き付いている。
そして先ほど、フランスから情報が入り、僕の知り合いも亡くなった事を知った。
僕は本気でフランスに祈り捧げたくて、トリコロールにしている。
中にはなんとなくしている人もいるかもしれない。
でもそれでいいじゃないか。
僕たちは3.11で苦しんだ。
僕も友人を亡くした。
同じ苦しみは知らないが国としてあんの愕然とした景色は今でも目に焼き付いている。
詮索して面白おかしく批判するライターなんかに負けるな。
こんなライターもいた。
http://junkuwabara.com/?p=3343
ふざけんな。
『正義の戦争』なんてあるものか。
攻撃を攻撃で返すことが正義の戦争?
ミーハーって言われても、深く今回の事件を知らなくても、別にいい。
人がこの世から亡くなった。
純粋にその事に祈りを捧げたい。


この投稿がシェアで回ってきて、トリコロールアイコンに設定している人の考えを垣間みた。
これを書いた彼は、「純粋に、人がこの世から亡くなったことに祈りを捧げたい」と言っている。
そういう意味でだけでも、このアイコンに設定する人は多いと思うし、「祈りを捧げたい」というその気持ちは理解できるのだけど。

エゴイズムな視点を感じてならない、というのがこの記事を読んだ感想だ。
彼が(彼らが)、今回のテロで亡くなった犠牲者に対して祈る行為は、結局、視点がテロ事件全体には向いておらず、自分自身や「亡くなった犠牲者」という、どちらも表面的な部分しか見えていないのではないかと思う。

今回のトリコロールアイコンは、追悼や祈りという意味にしては、ふざけたアイコンを多く見かける。
半透明のトリコロールに、プロフィール用の気の抜けた写真、自撮りが重ねられているのをタイムラインでいくつも見かけた。
そういうアイコンを見るたび、私は少しずつ嫌な気持ちになった。そのアイコンは、フランスへの興味のなさや、実際はテロに全く関わりのない人々の姿を顕著に表しているからだった。もっと言えば、「お前になにがわかるんだ」と、私が被害者ならそう言い兼ねないタイムラインだった。
トリコロールだけのアイコンだったら、まだ気に留めなかったかもしれない。そこにエゴが重ねられているから、嫌な気持ちになったのかもしれない。
彼らは、テロ被害者に対する祈りを、自分自身に「設定」したのだなと、強く思った。


上で引用した記事には、「命の犠牲に対しての祈り」としきりに言っているが、正直、私は「祈り」って何だろうなと思う。
彼らが捧げる「死者への祈り」は、なんのためなんだろう。きっと、テロ事件を見て傷ついた自分の心を癒すためなんだろう。
いま考えないといけないのは、死者ではなくて、「生存者」の方だと私は思う。
事件現場に居合わせた生存者、被害者の家族、友達。大きく見れば、フランス国民全員に対して。
被害者は、トリコロールアイコンを見てどう思うだろう?「救われる気持ちだ」と思うだろうか?

そう考えたとき、私はトリコロールアイコンにはしたくないなと思った。