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紀元なんかはなんにも知らないし無知のまま好き勝手な事言いたいからなんにも調べないで記事書くけど、水商売としての「風俗」という言葉が、風俗学の「風俗」と同じ表記なのはおもしろいな。ある種の皮肉のようだね。社会の中にある性的なものは普段仮面を被った大人達が巧妙に隠しているけれど、大人達はみんな性的なものに支えられて生きている。こどもからおとなになる道を歩いていると、汚いものがたくさん落ちていることに気付く。
いつのまにか、同年代でさえ風俗に行くようになってしまったし、多くの大人は恋愛ゲームを続けているし、快楽と引き換えに信頼を売っているし、わけのわからない世界ばかりが広がっている。おとなたちが子どもに説くような「道徳」など、実は社会の中ではほとんど適用されていない矛盾に、子どもは気がつかないから無垢で可哀想なんだ。そうした矛盾に気がついてしまっている私ももう、おとなになってしまった。少し前まで、そうした世界に生きていることを酷く憂いていたけれど、なんとなく今は落ち着いて、受け入れる体勢を整えている。愛だ。


家族ってなんだろうと最近は特によく考える。閉鎖的だった家族関係は、年齢を重ねるにつれ開けたものになったし柔軟になった。様々な家族の形を見てきたからだろう。どんな親にも完璧な人間なんて存在しないということを私が子どもの頃には気付くことができなかったから、子どもはそういう閉鎖的な関係にいつも悩まされることになる。そうしてしばしば、大人になっても錯覚している人間が生まれてしまう。家族というのは、切っても切れない関係だし大事なものだけれど、依存してしまうのは間違いだし必要以上に気にかけるのも正しくないというのが持論で、親だって兄弟だって一人の人間として接するべきなんだ。何にしても、自分を犠牲にし続けて家族の形を保つのは臭いものに蓋をしているのと同じであって、臭いものをお互いに嗅がせ合いながら築かれた関係の中に、本当の信頼が生まれるのだと思う。どうかな。


生活をしていると大きなテーマについて頭を回すのが本当に楽しい。