一見関係のありそうな過去のことがらを引き合いに出して説教まがいのことをするのはどうだろう?教育としては悪なんじゃないか?

というのも、私は大きな感情を家族の前には出さないように気をつけて生きてる。それが喜びであっても、哀しみであっても、飛び上がりたいくらいに嬉しいことがあっても死にたいくらいに哀しくても希釈して生活する。私の親は、私のことを説教するときに(説教というのは、私が外れた道に進んでるときに引き戻すための説教や、逆に私は自分の管理が正確だけれど勘違いして口を出す説教などあらゆる種類の説教)「あなたはあのときこんな風に喜んで(言って)いたけど今はこうじゃないか。」とか「今は忘れてしまっているようだけど、あのとき哀しんでいたのは嘘だったの?」みたいな説教の仕方をする。私はその言葉が、実際は私を責めるためのものではないとしても責められた気分になるし、自分がわからなくなる。本当に、そのときの自分の感情が嘘だったんじゃないかって不安になってしまう。私の感情を親に決められてしまうのが心地悪くて、私は自分の感情をなるべく外(家族)から読みづらいように表現した。きっと、それらの言葉に対抗することは出来るのだと思う。けれど、私にとって日々の出来事であるそうした言葉たちに対抗し続けるよりも、自分の感情を希釈してしまうほうがずっと簡単だった。私は優しい言葉を使うのに慣れていないし、好きじゃない…… 私の言葉で対抗すると、親は精神を崩してしまう可能性があったのも大きかったかもしれない。

今日、バイトに受かった。先月からずっとバイト探しをしていたのだけどなかなか決まらなくて、学費のことや生活のことが迫ってどんどん暗い気持ちになってきてたのだけど、今日やっと近所でのバイトが決まって飛び上がるくらいに嬉しかった。そのあと今のバイト先にルンルンと報告に行って、バイトに来ていなかった先輩にもメールで知らせて、彼氏にも会って浮かれた気持ちで家に帰ったけど家では平静を保って、ぽつりと「バイト、受かったよ」って感じ。そういう対応はもうすっかり身についていて特に意識しなくてもできるようになっていたけど、「不幸にする親」を読んだせいもあるのか、ふと「これって、親にとっては喜ばしくない子の心情なんじゃないか?」って思った。「親の前では感情を希釈します」って態度は、私が親だったら不本意だと思うから。

それでも、感情をコントロールするのは難しい。