うーん人間って理性で生きてるんじゃないのって思うし理性で生きててほしいってのが願いだけど必ずしもそうじゃないのかなあって。人間には理性で生きててほしいと思うから私は頭でっかちに理屈ばかり並べ立てて生きているような気がする、自分の行動が全て理性の上に成り立ってないとどきどきしてしまう。自分が癇癪起こしそうになったりヒステリックな感情が芽生えたりすると恐ろしいよ。そんな感情は必要ないでしょって思ってるからだろうな。そんな感情他人に見せる必要ないでしょって。それでも私の中に理性では抑えられない感情が存在してときに顔を出しそうになって、必死でそれを笑顔で塗り固めようとするけどそれってきっと間違ってるしなんだか不健全ですね。知ってる。それでも受け入れられない、少なくとも今すぐには。私は自分のことを特別な人間だって勘違いしているのかなあ、そんな気もしてくる。誰も私のことなんか理解できないだろってどこかで思ってる。受け入れられないだろってどこかで思ってる。それでも私はあなたたちのこと受け入れられるよ、理解できるよって言ってる。なんかヘンなの。私だけが持ってるスキルなんかじゃないのに全然それを信じていないし。誰も信じてないし何も信じてないんだなあ、だってそうやって生きたいって願ったからなんだけどね。まだそれでいいよ。まだまだ信じなくていい。信じるに値する人間ってつまり誰だよ。あーやっぱり感情が先走りそうになってしまう。蓄積された過去の重さや人生とか思考、自分を形成するには本当に重要な要素だな。それら抜きで生き方を変えるなんてできないだろ。私の生き方を変えるのって私しか出来ないんだなって当たり前のことを当たり前のように実感する。じわじわと、ゆっくり浸透するようにしか私は変われないけど、いずれ答えは出るはずだから生きてればいいよ。生きるってすげーつらいな。皮肉交じりに。夜景を形作る光に紛れて時間を止めるように過ごす日常の一瞬は私にとって必要不可欠なものだけどそれって自分特有なんだろうな。私のような人間はたくさんいるだろうけど認識したことはないから特有って言っても間違いじゃないと思う。生きてるって実感したいときは街に紛れに行く。せかせかと動く人間とか絶えず変化し続ける風景を見て安心する。私だけがゆっくりとした時間の流れの中に生きてるって錯覚して安心する。笑っちゃう。錯覚でも安心することって私でもあるよ。美しい風景を見て泣いたりもするよ。素晴らしい文章に触れて生き返ったりもするよ。錯覚かもね。生きてるって錯覚かもね。美しいんじゃない?いいよ、それでも。私は生きてて楽しいから。