なにもかもがめんどくさいわけではないのだけれど。なにもかもがめんどくさいのかもしれない。ん?
赤裸裸な日常なんて事細かに書き記す必要なんてあるのかしら。ないだろうね。必要のないものを削ぎ落としてゆく生活に潤いがあるとは思えないが。余計なものばかり飲み込んでしまったらすぐに満腹になってしまうね。きっと食事も嫌いになってしまうね。なんの話をしていたんだっけ。
無気力な生活が続いている。無気力じゃないふりをしているけど自分の身体と心だけは生まれてから今までずっと自分のものだったからわかるよ、これは無気力ってやつです。色々とやらなくちゃいけないことと考えなくちゃいけないことと見据えなきゃいけないことで頭がいっぱい。それでも動かなくちゃ。ゆっくり自分に優しくしつつ行動するようにしてるから大丈夫だと思う。それより心配なことがたくさんある。

私をとりまく言葉たちとか私がぐらりとくる言葉たちは夢があるのだと思う。抽象的で危うい、繊細にバランスのとれた言葉の羅列。それって、ついさっきやっと気付いたけれど、詩だよね。私は詩が嫌いだ。伝えたいことを煙に巻く表現が嫌いだ。それでも初めて詩を書いてみた。詩はひとりだけのものだという印象がどうしてもまだまだ抜けない。いつも聴いている歌がある。泣きたいほど詩的だけど感動するんだ。何が違うのか考えてる。音ってもしかしたらずっと強いのかもしれない。嫉妬してしまいそう。きっとないものねだりだ。満たされることはないだろうね。人間らしくて嫌いじゃないけど。

一定以上の文章を一日で書くことは出来ないのかもしれない。だったらこんな文章に意味はあるのかしら。推敲するべきものに取りかかるべきなんじゃないのかしら。出来てない。出来てないね。自分の弱さを一日の終わりにどっと抱え込むのはよくない。おかしなことになってしまう。